2006年1月28日 (土)

レヴィナス生誕100周年(3)

三日目。タイトル「レヴィナスとその同時代人;サルトル、ブランショ、ジャンケレヴィッチ、デリダ」
実は円卓会議の前にビデオ上映があったが、時間を間違えたのと、place d'Italieの自動改札で切符(一週間用のcarte orange)が飲み込まれ、別の改札までいって係員を呼び、切符を出してもらったのと、最短距離でgare du Nordまで行ける地下鉄五番線がまさにそのgare du Nordで技術関係のトラブルが発生し、各駅に止まるたび五分ほど停車するはめになったため。しかし同じビデオが日曜日の一番長いコンフェランスの冒頭で流される予定なので、とくに急がず、到着したときにはちょうどビデオが終わった後のようだった。三日連続で同じ場所にくると受付の人たちとも顔なじみになり、聴講者も顔に見覚えのある人が増える。だいぶ気持ち的に入りやすくなった。

司会:Max KOHN、パリ第七大学教授
Françoise Collin、ブランショ研究者、1971年にブランショ研究書(Maurice blanchot et la question de l'écriture. essai. )を出版。会場ではMaurice Blanchot et la question de l'écritureが売っていた。Cahier de l'herneのレヴィナス号でレヴィナスとブランショの比較論を書いている。
Eric Hoppenot、ブランショ研究者、スペインの大学で教鞭をとる。共著にL'oeuvre du Féminin dans l'écriture de Maurice Blanchot。
Françoise Schwab、ジャンケレヴィッチ研究者
Elena Bovo、高校(イタリア?)のフランス語教師、デリダ研究者

なぜかタイトルにあるサルトルの研究者がおらず、ブランショ研究者が二人。というわけでサルトルは話題にならず終い。

円卓会議要約

Collin:71年に出版した自著ではデリダとの比較はしたがレヴィナスへの観点はまったくなかった。ブランショにならい、テクスト研究に作者の実体験(交友関係も含めて)は関係ないという信念だったが、レヴィナスのテクストからの影響関係は無視できない。戦後ブランショは少しずつレヴィナスの哲学作品を理解していったように見える。レヴィナスとブランショをどんな点で近づけることができるか?まずはその哲学的出発点である、フッサールハイデガーの影響および批判があげられる。主体の構造、主体客体関係への批判。両者ともに主体そのものを揺るがす(destabiliser)方向へ進む。この作業がレヴィナスにおいては他者、ブランショにおいてはテクストにおいてなされる。ブランショにおいてはテクストの他性がどんどん重要性を持つようになる。

Hoppenot:レヴィナスのブランショ論集「モーリスブランショについて」でレヴィナスは次のように述べている「モーリスブランショが書いた全てのことは高み(hauteur)についての証言である。」ブランショにおける中性(Neutre)は世界の非人称的震えであり、ある意味ではツィムツームの一つの形態と言うこともできる。ブランショ的中性と他者の関係:中性は超越を含み隠している、中性は高みそのものではなく世界の震えであるから、低くみにおける超越といえる。

Schwab:ジャンケレヴィッチとレヴィナスの最初の出会いは31年。57年のユダヤ知識人会議でも同席している。二人の間で共鳴しているのは倫理的なものの優位。また戦後、ハイデガーへの嫌悪感も共通。ただジャンケレヴィッチが語ることさえほとんどしなかったのに対して、レヴィナスは多くを語り、『存在と時間』に哲学史上の偉大な地位を与えている。とはいえドイツ国内に入る(単に移動で通過するだけでも)ことだけは決して無かった。赦しは両者にとって哲学的問題だったが、ナチの恐怖によって支配された記憶により赦し得ないものがあった。選び(決して特権としてではなく、道徳的責任として)と寛容も両者に共通する。二人ともベルクソンの影響下にあり、時間の概念でも類似性が見られる(ジャンケレヴィッチにおける連続的奔出jaillessement continuとしての時間性)。

Bovo:レヴィナスに関しては『神、死、時間』、デリダに関しては『郵便葉書』『メモワール、ポールドマンのために』を参照した。自己同一性と死を巡る両者に共通点。死はレヴィナスにとっては他者の死のことであり、他者の死を経験することは「生き残りの経験」。他者を死ぬままにさせておくことができないという感情が自己の同一性そのものの構成要素になっている。非現在による、自己の現在にに対する感情/感染作用は、上記のデリダにも見られる。

以上要約でした。ノート以外の記憶で再構成した部分もあります。この日の発言者は皆レヴィナスの研究者ではないので、レヴィナスに関する知識はやや物足りないものがあった、というのが正直なところ(表面的なところではSchwabさんはレヴィナスが留学した街をマールブルクだと勘違いしていた。この街はハイデガーがフライブルクに来る前いた街。ちなみに昨日のザランスキさんもレヴィナスの「ヒトラー主義哲学についての若干の考察」の執筆年を1937としていたが34年の間違い。)
ただこうして纏めてみるとテーマとしては興味深いテーマが並んでいる。でもこれで入場料とるのはちょっと、、と思う。

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2006年1月27日 (金)

レヴィナス生誕100周年(2)

”Un siècle avec Lévinas, un humanisme pour l'avenir”

「レヴィナスと共に一世紀、未来へのヒューマニズム」コンフェランスの二日目

二日目も同じ会場、同じ部屋、同じく二部構成。今日はgare du nordから来るときに2、9ユーロ(安い)のサンドイッチ(フランスのはいわゆるフランスパンに具がはいっているものです)を買ってきた。ロビーでほおばり、腹ごしらえ完了。

第一部19:00〜

講演:「レヴィナスーフランツローゼンツヴァイク:交差する眼差し」

シュロモ(サロモン)・マルカ(ユダヤ共同体ラジオディレクター):『レヴィナスを読む』やレヴィナスの伝記著者でもある。基本的にはジャーナリストなので、講演自体は分かりやすかったが、ヘブライ語の単語に対して全く何の説明も無かった。講演自体はユダヤ教の文化背景を共有していない聴講者を受け入れることを前提にしているはず。全体的にユダヤ人同胞に対して語っている風で、内輪的な姿勢が感じられ、聞いている側として排除されている感情を持たざるを得ない。ちなみに一般は7ユーロ、学生は5ユーロ支払っている。配慮が感じられない。しかし創世記か何か(それはちゃんと説明していたけど忘れてしまった。。)のヘブライ語原文を暗唱してみせたりすることもあり、逆に考えると仲間内の現前が心理的にプレッシャーになっているのかも知れないが、いろいろ憶測しても仕方がない。とにかく普遍的な啓蒙的講演としては改善の余地があった。

第二部20:00〜

円卓会議「哲学におけるレヴィナス:存在から他者へ」

司会:Alain Juranville

発言者:

Jean-Michel Salanskis:パリ第十大学教授。明晰な講演。単に明晰であるだけではなく、研究が自らの思索の血肉になっていることを感じさせる。時折自らの青年時代の左翼運動との関わりなどといった経験にふれ、それとレヴィナスの思想を対話させつつ話を展開してゆく(あくまで時折、挿話として)。しかしありがちな感傷主義に陥ることはまったくない。

Roger Buggraeve:昨日に引き続き登場。今日の発言、スターリニズムについてレヴィナスが彼に語った「善の悪」の問題はずっと彼の頭の中から離れなかったそう。個人的な関係があっただけに思想的に多くレヴィナスに負っている。また、時折発するn'est-ce pasはほとんどレヴィナスが乗り移ったかのよう。いい人感丸出し。

Rodolphe Calin:高校哲学教師。レヴィナスについての博論を出版したばかり。入り口で自分の前にいて、発表者にも関わらず入場料を払いそうになっていた。どこかで顔を見たことがあるような気がしたら、2004年11月頃、初めてマリオンのゼミに出たときに発表していた人だった。マリオンは確かなにか彼の説に異議を挟んでいたが、当時は余り聞き取れず、分からなかった。当時の彼の発表自体は、話し方がマリオンそっくりだったが、聞き取りやすく、分かりやすかったと記憶している。

第一部要約

『全体性と無限』の序文でレヴィナスはローゼンツヴァイクについて、「引用するにはあまりに現前している(trop présent)」と語っている。この近さはどういう近さなのか、どんな点で近く、どんな点で遠いのかを探ってみる。

 フランツ・ローゼンツヴァイクは1886年ドイツのカッセルに生まれる。キリスト教に改宗することをあるとき決意する。改宗の直前の大贖罪日(יום כיפור ヨム・キプール http://ja.wikipedia.org/wiki/大贖罪日)にベルリンのシナゴーグへ赴き、最後のキプールをそこで過ごそうとする。しかしその時啓示を受け(たかどうかはわからないが)キリスト教への改宗をやめ、ユダヤ教へと信仰的に舞い戻る。第一次世界大戦に従軍、戦時中から『贖罪の星』を書き続け、1921年出版。ユダヤ教を基礎にした理性の宗教を基礎づけようとしたヘルマン・コーヘンに支持し、マルチン・ブーバーと聖書のドイツ語訳につとめる。Lehrhausというユダヤ教の自由大学を設立し、教育に務める。筋萎縮性側索硬化症により1928年死去。

・ 師であるコーヘンと違い、聖書の中で思索をする。聖書それ自身に呼吸をさせる。「聖書と心は同じこと言っている。」とさえ言う。

・観念的手法が具体的なものへと回帰する。この点ではハイデガーと共通。決して限定された状況から離れない。

・ローゼンツヴァイクにおいては真理はユダヤ教とキリスト教の中にしかない(ただし何故そうなのか、についての説明はない。その他の宗教、精神文化には真理の場が与えられていない。)真理はユダヤ教(永遠の命)とキリスト教(永遠の声、永遠を運んでくるもの)という二つの形象のなかに現れる。この二宗教はともに和解することはないが、共に真理の労働者(ouvrière)である。

・レヴィナスはローゼンツヴァイクをLouis Cohnを通じて知ったと推測される(しばしばJacob Gordinが『贖罪の星』を彼に与えたとされるがおそらくそうではない。)出版された当時、ごく限られた人々しかこの本を読むことはなかった。フランス語訳が出たのは80年代に入ってから。

・ローゼンツヴァイクはレヴィナスの先駆者か?いくつかの比較:

1)戦争体験:ローゼンツヴァイクは第一次世界大戦。戦場での死の世界を「カタストロフ」と形容している。一方レヴィナスは第二次世界大戦。しかし彼にとって死の意味は他者の死にある。これはハイデガーにおける対死存在概念に対する応答でもある。

2)ヨーロッパ人レヴィナス?:ローゼンツヴァイクにおいて、真理の探求は最初から二つの道に枝分かれする。一方レヴィナスにおいてはまずロシア文学の影響が大きい、そしてギリシャ・ローマ文化もユダヤ・キリスト教文化と同様の重要性を担っている。

3)ユダヤ教への回帰?:ベニ・レヴィ(元サルトルの秘書でエルサレムにあるレヴィナス研究所の創立者の一人、去年逝去。)が唱えるのとは違い、レヴィナスはユダヤ教への回帰の思想家ではない(レヴィナス研究年報の第三巻のテーマは「回帰の思想」)。回帰の思想はむしろローゼンツヴァイク。

4)顔/星:レヴィナスにとって真理の特権的形象はやはり顔。ローゼンツヴァイクもダヴィデの星を顔になぞらえている箇所があるが、やはりダヴィデの星が特権的な形象。

5)問いと答え:レヴィナスはユダヤ的な問いから普遍的な答えに至る[説明としてはやや??]。ローゼンツヴァイクは普遍的な問いからユダヤ的な答えにいたる。

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第二部要約

ザランスキ

アリストテレスにとって形而上学は存在についての学だった。ちょうどハイデガーにとって基礎的存在論があらゆる領域的存在論を基礎づけるように、形而上学は存在についてのあらゆる学に先行する第一哲学である。伝統的存在論においてレヴィナスの目に非難されるべきものと映った点を三点に纏める。
1)conatus essendi:自らの存在を保持し、あるいは拡大しようとする存在の努力。とりわけスピノザがこの点では批判の的になる。この点に関して批判をしているパスカルでさえも批判の対象になっている。
2)認識論的態度:存在への愛としての認識は倫理への道を塞ぐ。
3)存在の中性:本質存在(『存在するとは別の仕方で、或は存在の彼方へ』における用語では、デリダの差延を意識した”essance”)は自らを際限なく表出し続け、存在者を生み出し続ける。存在の自己賛美作用。

 以上の点より、存在からの脱出が説かれる。脱出を導くものが他性。レヴィナスにおける絶対的他者はラカン的な大文字の他者ではなく、まずは直接法に対する命令法として現れる。他者の命令法が意味と価値の源泉であり、ある意味では「他者」と言うことは「神」と非宗教的に言うことである。

 存在の努力は批判の対象ではあるが、それ自体を憎む訳ではない。世界内において身体という存在をもってある場所を占めることはあらゆる存在者にとって避け得ない事態である。真に批判されているのは存在にしがみつき存在の外を目指そうとしないことである。悪は存在そのものではなく、存在へのしがみつきから生ずる。

カラン:レヴィナスにとって他者はある意味では根源的な位置を占めているわけではない。それよりも超越的なのは意味である。倫理とは存在の彼方の場であって、そこで語が意味を受け取る場。また、倫理は道徳とは区別されている。レヴィナスにとっての倫理とは体系にとっての例外をなすものである。レヴィナスにおいて道徳理論は存在しない。とはいえ、彼の存在論批判は道徳的な批判である。存在と存在者の間の差異が最も根源的であるとされる存在論的差異に対してレヴィナスが提起する差異は善と悪の差異。これが存在論的差異にも先立つ。「存在とは何か?」に先立つ問いが「私は存在してよいのか/存在する権利があるのか?」。この問いは無ー起源的(an-anarchique)な問いである。

ビュグレーヴ:他人への責任から社会的政治的責任へ。他者への責任は他人への応答可能性であるが、社会的政治的責任は第三者(le tier)に対する応答可能性である。これを考えるのに避けて通れないのが悪問題であるが、晩年のレヴィナスがビュグレーブに社会経済政治的正義の問題について次のように語った。ヒトラー主義よりも最悪な悪の中でも最も最悪なのがスターリン主義である。なぜならスターリン主義はもともと労働者への愛(ある意味では隣人愛)から発したものが専制主義の最悪の形態へと発展したからである。これは善が発展して悪にかわったという意味でおおきなスキャンダルである。何故善から悪が生ずるのか?この問いが長年ビュグレーブの頭から離れなかった。これに対する一つの応答は小さな善と大きな善である。悪を生む善とは全体的であろうとし、社会経済政治全体を支配しようとする善である。善が悪を生まないためには全体性を目指さない善、すなわち小さな善が必要であり、それは謙虚としての善である。

以上が要約

、記憶が曖昧な所は自分なりに補ってますのでご了承ください。

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